柳亭左楽の名は幕末から昭和期まで五代を数える名家であります。 初代三笑亭可楽の門から佐楽(俗にニンベン佐楽)が生まれて三人目の佐楽が亭号を 改め柳亭を冠して初代となったとの説が有力視されています。

 二代目(新治郎)は初代林屋正蔵の娘婿となり三代目正蔵を相続、のちの二代目左楽となった怪談噺、滑稽噺の大家であり文人仲間の粋狂連に属し三代噺にも才をみせた通称「歯っかけ左楽」三代目(高山長三郎)は二代目門下で子飼いの俊才、十代で師名を 襲いだ幻の名人、芝居噺を佳くし三十四才で夭逝した通称「佐市の左楽」四代目(福田 太郎吉)は明治中期に活躍、初代燕枝三代柳枝門を経た柳派の人気者。その風貌から「オットセイ」と仇名され滑稽噺を売り物にした好人物、人望があって柳派の頭取を つとめ、晩年病床で五代目を門人芝楽に譲って引退しました。

 五代目(中山千太郎)は、その芝楽で明治大正昭和三代に大活躍した斯界の大立物。 明治四十四年左楽となって以来昭和二十八年迄、四十二年間「五代目の師匠」と尊称され、気骨と器量の大きさで波乱に富んだ落語界の激動期を生き抜き、卓越した包容力と人望で八代目文楽・六代目柳橋に代表される昭和の俊傑を傘下に擁し一大勢力を築いた大人 (たいじん)。昭和二十八年引退披露の寸前八十二才で逝去しました。


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